沖縄タイムス 2017年2月15日 「1948年の米軍LCT爆発で新資料 伊江島の砲弾集積場、危険性放置」

1948年の米軍LCT爆発で新資料 伊江島の砲弾集積場、危険性放置

沖縄タイムス 2017年2月15日


1948年、住民178人の死傷者を出した伊江島の米軍LCT(上陸用舟艇)爆発事故は、直前に起きた砲弾集積場の火災を機に、処理を急ぐ中で起きた事故だったことが、14日までに関係者の調査で分かった。米軍による報告書によると、米軍は人材や設備不足から、伊江島の砲弾集積場の危険を放置し、沖縄本島内にある集積場の処理を優先していた。識者は「基地の中の沖縄という実態が伊江島に凝縮している」と指摘した。

 

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伊江島LCT爆発事故の2カ月前に起きた火災に関する報告書の一部(沖縄県公文書館蔵)

 

 同村出身で、爆発事件を調べる長嶺福信さん(68)が、県公文書館で、48年6月13日に起きた火災に関する115ページの報告書を確認した。火災は、爆発事故の2カ月前、伊江島北海岸の弾薬集積場で発生。弾薬が爆発し、広範囲に燃え広がり、住民が避難した。鎮火までに4日かかる大火災だった。

 報告書によると当時、米軍は沖縄戦の最中から、空軍1万2180トン、地上部隊2158トンの弾薬を保管。安全な保管方法の定めに抵触していたが、改善されず大火災につながったとした。

 添付資料として火災前年の47年、読谷・嘉手納、那覇など7カ所あった弾薬集積場の実態を示す年報があった。中でも伊江島は推計で砲弾保管量が最も多かった。だが人材や設備、費用の不足に加え、基地と住民への安全性の観点から、沖縄本島内にあった弾薬集積場の処理を優先。伊江島での処理は後回しとなった。

 報告書は、火災を受けて、伊江島での砲弾処理の遅延がないように指摘。米軍はこれを受けて、処理を急いだと見られる。報告書がまとめられた約1カ月後に、LCT爆発事故が起きた。

 

 同事故を調査した沖縄国際大学の石原昌家名誉教授は、伊江島の処理が後回しだったことに「伊江島は日本軍にとっても、米軍にとっても『不沈空母』だった。基地の中の沖縄の縮図が伊江島に表れている」と指摘した。 長嶺さんは報告書がきっかけとなって「事実を伝えるために、経験者が語ってくれれば」と期待する。同問題を調べる「沖縄の軌跡」発行人の島袋和幸さん(69)とともに、17日午後1時半から、伊江島はにくすにホールで関係者による座談会を開催する。