1971年11月17日 沖縄抜きで、不意打ちの「沖縄返還協定」強行採決

 

返還協定 国会で不意打ちの強行採決

沖縄タイムス「沖縄の運命決めた22時間23分 返還協定 国会で不意打ちの強行採決 (2021年11月17日)

 

 

 「やはりやられたか」。那覇市の平良亀之助さん(85)は、県民が望む形での復帰への民意が断ち切られた50年前のあの日を回想する。

 

 衆院沖縄返還協定特別委員会は1971年11月17日午後3時14分、「沖縄返還協定」を不意打ちの形で強行採決自民党の賛成多数で承認された。

 

 採決時は当時の社会党の議員が質問中で、その後は沖縄選出で無所属の瀬長亀次郎氏や安里積千代氏も控えていた。怒号と歓声が飛び交う中での採決だった。

 

 沖縄でも国会でも賛否は割れていた。「まずは日本復帰を」と望む保守に対し、革新は沖縄からの「核抜き」が曖昧だったことや、自衛隊が配備されることなどに反発した。

 

 予兆はあった。返還の時期は翌72年に迫っており、会期中に承認しなければ間に合わないという判断があった。また米国がドルと金の交換停止を発表したニクソン・ショックに対応する大型補正予算の審議が先行し、沖縄に関する議論の時間が限られていたという事情もある。

 

 当時、自民党25日までの衆院通過を目指していたわずか4日間、22時間23分で、沖縄の運命を決めるばかりか、日本の安全保障にとっても重要な返還協定は実質審議を終えた。

 

 翌18日。沖縄タイムスは一面で「県民無視の暴挙に怒り!」と見出しを取り、朝刊夕刊合わせた14ページのうち8ページにわたり県内の憤りや混乱を伝えた。

 

 強行採決と同時刻、琉球政府屋良朝苗主席は、羽田空港に到着していた。沖縄が望む復帰の姿を132ページにまとめた「復帰措置に関する建議書」を政府に届けるはずだった。

 

 当時、琉球政府復帰対策室調査官として建議書の作成に携わった一人が平良さんだ。結論ありきで沖縄の声がかき消されたのはなぜか。「米側から圧力があったか、日本側が忖度(そんたく)したか」。背景を推測するしかなかった。(政経部・松田駿太)

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