松田 良孝『台湾疎開「琉球難民」の1年11カ月』 南山舎 (2010)

 

 

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太平洋戦争末期の1944(昭和9)年後半から、石垣島宮古島など「先島」と呼ばれる 地域を中心とする沖縄の住民約1万人が台湾へ疎開した。生活費や食糧の確保など疎開者に対する公的な援助は、終戦が近付くにつれて機能しなくなり、戦後、疎開者たちは棄民化していく。台湾では、少なくとも、1945年12月から1946年9月までの間、中華民国の当局者が引き揚げを待つ疎開者たちのことを琉球難民」と呼んでいた。疎開者の難民化である。 台湾疎開の人々が完全に帰還を終了したのはおおむね1946年5月。本書の題名にある。 「1年1カ月」というのは、台湾疎開を決めた緊急閣議が開かれた1944年7月から、帰還終了までを意味している。

 

だが、疎開者の中には、島へ引き揚げることができないまま亡くなった人も少なくない。石垣島から台湾へ疎開していた石堂ミツ(1927年生)は、終戦から引き揚げまでの間を振り返り、「生きるか死ぬかも分からん。「ものを食べないでいると、死ぬよ」ということさえ、 分からなかった」と語った。戦後、棄民状態に置かれた疎開者たちが台湾から引き揚げてくる までの足取りを追うと、あきらめかけていた「生」の縁からぎりぎりで帰還してきた「琉球難 民」の姿が見えてきた。
《松田 良孝『台湾疎開琉球難民」の1年11カ月』 南山舎 (2010) 》