NHK が沖縄返還50周年を記念して製作した朝の連続ドラマでは、1972年5月15日、主人公は、青空のもと、「祝 本土復帰」の垂れ幕がかかったバスに乗って「本土」に旅立つ。
また、史実では本土復帰した1972年5月15日の沖縄の天気は雨だった。しかし、『ちむどんどん』の作中では晴れていた。気象庁の記録では、1972年5月11日ごろに沖縄が梅雨入りしたことが残されている。
百害あって一利なし、沖縄復帰50周年の NHK 朝ドラ「ちむどんどん」は、実に不愉快で残酷なまでに凡庸なドロマだった。もう樋口耕太郎*1 なみの偏見、現代版「人類館」なみの日本産「沖縄人男性ステレオタイプ」、朝からうすら寒いばかりである。
ナレーションを続けなきゃいけないジョン・カビラさんも、本心、心底がっくりしてるんじゃないか。
1972年5月15日が青空だったなんて、そもそも、沖縄復帰50周年ドラマを名乗る価値もない、「沖縄返還」の背後にあったこと、日本からは見えない沖縄のことをなにも知らず、植民地主義的オリエンタリズム「なんくるないさー」を解釈したドロマとしか思えない。
ちむどんどん第25話では、ついに比嘉暢子(黒島結菜)が東京へと旅立ちました。ジョン・カビラさんのナレーションが、1972年5月15日は沖縄の本土復帰の日であること、暢子の旅立ちの日が同日の朝であることを告げます。青空の下、那覇に向かうと思われるバスの中で、暢子は希望を胸に瞳を輝かせていました。
しかし、1972年5月15日、実際の沖縄の天気は雨でした。世替わりの日、沖縄は喧噪の中にありました。
その日、午前5時30分からは沖縄県警の発足式、午前6時からは第1回沖縄県議会臨時議会が開催されました。米施政権下の象徴だったドルから円に変わることを受けた「通貨交換」を警備するための本土からの機動隊が午前7時25分には那覇新港に到着し、午前9時から各地で通貨交換が始まります。
午前10時すぎには、那覇市の与儀公園で復帰に抗議する人たちのデモがあり、午前10時半からは那覇市民会館で日本政府主催の「沖縄復帰記念式典」が始まりました。式典会場周辺の道路は交通規制で渋滞し、県警は300人以上の警官を配備し、厳戒態勢を敷きました。テレビでは同時刻に東京の日本武道館で始まった「沖縄復帰記念式典」が映し出されていました。
午後2時から那覇市民会館で県主催の「沖縄県発足式典」が始まり、午後3時半からは与儀公園で復帰協主催の「沖縄処分抗議県民大会」が行われ約1万人が雨の中集まりました。
1972年5月15日付の琉球新報夕刊は、復帰を迎えた沖縄の姿を「沖縄県-『通貨交換』『儀式』と『雨』でスタート」と表現しました。
【ちむどんどん第25話】雨の中迎えた復帰の日 1972年5月15日の沖縄 朝ドラ「ちむどんどん」キーワード集【ネタバレ注意】 - 琉球新報
で、下記のような醜悪なステレオタイプを全国津々浦々に助長しただけの、百害あって一利なしのドラマだった。
加藤浩次「沖縄の人、働かないねー」に島崎和歌子が大あわて!速攻で訂正
2023.05.28
この日のゲストは沖縄・糸満市出身で2022年に放送されたNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」ではヒロインを務めた女優・黒島結菜。思い出の食事として、糸満市にある「とぅんち小(とぅんちぐわぁ)」の沖縄そばを紹介した。
映像で同店の様子が流れ、おいしそうな「琉球ロイヤルポーク沖縄そば」も披露された。さらに「11時30分~15時だけの営業」とテロップが表示されると、島崎は「えっ、4時間しか」とビックリ。続けて加藤は「やっぱ沖縄の人、働かないねー」と指摘した。
加藤の“あくまで個人の感想”風ボケに、島崎はあわてて「ちょっと待って!」と爆笑でツッコんだ。「そっちじゃないんですか?」とニヤリとする加藤に、島崎は「麺が売り切れ次第だと思うよ」と訂正。サバンナ・高橋茂雄も「人気店ってことか」とフォローをかぶせていた。
はぁ???
沖縄に途方もない米軍基地を押しつけて、日本の政治とゼネコン企業が沖縄を食い物にしてきた。
本土は「非核」といいながら、沖縄に核ミサイル基地建設してたのは、日本のゼネコンじゃないか !
沖縄に働かせて、
利益をむさぼってきたのはつねに日本。
戦前も、戦中も、戦後も。
その歴史も知らないなら、
加藤浩次さんは勉強をいちからやり直してほしい。
差別的で不適切、というだけではない、
歴史的に間違った言説を電波に乗せるな。
いちど NHK 「ちむどんどん」は、局内でも、また学術的にも、しっかりと批判的に検証されるべき番組である。
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