計9体遺骨に異例の女性2体 少女の脇に赤い花柄の弁当箱 旧日本軍の陣地壕で見つかる 4体からDNA抽出 沖縄・糸満
糸満市照屋の旧日本軍の陣地壕で、少女の遺骨の脇から見つかった花柄のアルミ製の弁当箱(浜田哲ニさん提供)
2023年5月19日
[戦後78年]
沖縄戦時に旧日本軍の陣地があった糸満市内の二つの壕跡で2020~21年に収集した沖縄戦犠牲者の計9体の遺骨を巡り、4体からDNAが抽出され、うち2体が女性であることが18日までに厚生労働省への取材で分かった。女性の1体は骨の成熟度から少女という。軍が駐留した陣地壕で女性の骨が見つかるのは異例で、少なくともこの2体は沖縄の住民の可能性が高い。(デジタル編集部・新垣綾子)
遺骨を発掘したのは、約20年にわたり沖縄に通い遺骨収集ボランティアに取り組んでいる青森県の報道写真家の浜田哲二さん(60)と、妻で執筆家の律子さん(58)ら。日本軍の第24師団歩兵第32連隊第1大隊が使っていた糸満市国吉の壕で20年に1体、同市照屋の壕で21年に8体の遺骨をほぼ全体がそろった状態で収集した。
女性2人の遺骨は照屋の壕で見つかり、少女の脇には赤い花柄が付いたアルミ製の弁当箱があった。陣地壕に女性や子どもがいた理由は不明だが、8体の遺骨がまとまって埋まっていたことから、浜田さんは「壕の内外で亡くなった軍人や民間人を仮埋葬したのではないか。弁当箱は少女の所持品で、遺骨は母子や、祖母と孫の可能性も考えられる」と推測する。近くにはもう1体、子どもとみられる骨があった。
生き残った同部隊の将兵らの証言では、この壕は糸満に上陸してくる米軍を迎え撃つ目的などで構築され、1945年8月末に武装解除されるまで、十数人の兵士が立てこもり抵抗を続けていたという。
浜田さん夫妻は、遺骨収集と並行して、同部隊に所属した北海道や東北などの出身兵士の遺族を訪ね歩いてDNA鑑定の意義を説明。糸満市内の自治会などにも呼びかけ、これまでに沖縄県民3件を含む40件以上の申請を託され、厚労省に鑑定を求めてきた。
浜田さんは県民に向け「有力な遺留品がない限り、遺族側の申請数を増やさないと本人特定は非常に難しくなる。見つかった場所や弁当箱などに少しでも心当たりのある人は名乗り出てほしい」と訴えている。
問い合わせは厚労省社会・援護局事業課戦没者遺骨鑑定推進室、電話03(3595)2219。または浜田さん、090(1080)0758。
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■沖縄戦の遺骨収集 DNA鑑定で返還はわずか6件 沖縄県民の事例なし日本軍の部隊が使っていた糸満市国吉と照屋の壕跡で見つかった遺骨から、本人特定に向けたハードルの一つであるDNAが抽出された。県のまとめでは、2021年度に収集された沖縄戦の遺骨は49柱。いまだ収骨されていない遺骨は21年度末時点で2719柱に上る。戦後78年がたち、早期収集と身元特定、遺族への返還が求められるが、沖縄戦関係でDNA鑑定によって身元が判明し、返還がかなったのはこれまで6件にとどまる。いずれも県外出身の男性兵士で、沖縄の住民の事例はない。
遺骨収集の体制整備を国に求める戦没者遺骨収集推進法が施行されたのは16年4月。その後、鑑定部位や対象地域が広がり、本人につながる遺留品や記録がある場合に限っていた鑑定条件が取り払われるなどした。
厚生労働省によると、名簿や遺留品などの手がかりとなる情報がない遺骨について、遺族など から寄せられたDNA鑑定の申請件数は23年4月末時点で1496件。だが、長い時間の経過に加え、亜熱帯の沖縄は北方地域に比べて遺骨の劣化が激しく、DNA抽出が困難なケースが多い。
■厚労省ホームページに情報 高齢者に届かない情報
身元が分かった6件のうち、4件に関わった遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松代表(69)は「厚労省による鑑定の呼びかけはホームページが主で、ネットになじみが薄い高齢遺族に極めて不親切。遺族は年々減り、多くの遺骨が眠る本島南部の緑地帯は開発の危機にさらされている。限られた時間の中、遺骨をどう故郷に帰していくのか、厚労省や県の本気度を示してほしい」と強調した。
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