「ヒ素投棄 8人死亡 米軍、戦後通じ沖縄の環境汚染 PCBや毒ガス・細菌も」沖縄タイムス (2019年11月18日)

 

ヒ素投棄 8人死亡/米軍、戦後通じ沖縄の環境汚染 /PCBや毒ガス・細菌も

2019年11月18日

 【ジョン・ミッチェル特約通信員】

 近年、約45万人(北谷浄水場の給水を受ける7市町村)もの住民の飲料水の水源が、有機フッ素化合物PFAS(ピーファス)の一種であるPFOS(ピーホス)やPFOA(ピーホア)によって汚染されている。米軍嘉手納基地や普天間飛行場の泡消火剤に有害化学物質が含まれていることが分かっている。沖縄の過去70年余りの歴史において、米軍による最大規模の汚染だ。沖縄タイムスは、米情報公開制度や県の資料などを基にいくつかの悪質な例を取り上げ、年表にまとめた。(1面に関連)

 

 戦後を通じて、飲料水の水源は、米軍による化学物質の投棄や基地からの流出によって、汚染され続けていた。1947年伊平屋島の住人8人が、米軍が井戸近くに投棄した化学物質が原因とみられるヒ素中毒によって死亡した。50〜60年代にかけて、嘉手納基地で流出した航空機燃料が地下に染み込み、住宅地域の井戸などに漏れ出た。それらの井戸の水は汚染がひどいため、67年には火を近付けると燃え「燃える井戸」と呼ばれた。

 

 日本復帰後もまた、大量の燃料やディーゼル油、汚水が基地から流出し、川や海に悪影響を与え続けている。

 

 第2次世界大戦後、米国は沖縄を「太平洋のゴミ捨て場」と呼んだ。廃棄物は海中への投棄、島中に埋められ、その一部は、その後何年もたって発見される。

 

 81年、海兵隊員が、普天間飛行場内で偶然、枯れ葉剤の入っていた疑いのあるドラム缶100本以上を掘り出した。それは、以前、同基地に勤務していた兵士が埋めたものだった。

 

 2002年には北谷町の基地返還地から、タール状の物質が入ったドラム缶187本が掘り出された。13年からは、沖縄市サッカー場地下からダイオキシンPCB、他の有害物質を含んだ100本以上のドラム缶が見つかった。恩納通信所跡地やキャンプ桑江の返還地、読谷、西普天間住宅地区の跡地でも深刻な汚染が見つかっている。

 

危険隣り合わせ

 米統治下の沖縄には、地球上で最も大規模に大量破壊兵器が貯蔵され、時々、事故が起きていた。1955年、初の原子砲(280ミリ口径)を使った(核砲弾を搭載しない)普通弾の発射実験で、宜野座村の松田小学校のガラスが割れ、児童4人が負傷。59年、核ミサイル「ナイキ」が米軍那覇基地(現那覇空港)で誤射された。

 

 69年には知花弾薬庫でサリンが漏出し、24人の米軍関係者が健康被害に。60年代初頭に、米軍はイモチ病という耕作地を丸ごと枯死させる菌を含む生物兵器の少なくとも11の実験を首里、石川(現うるま市)、名護で実施。

 

 一方で米国政府は最近、沖縄で枯れ葉剤にさらされた退役軍人少なくとも11人に補償費を支払った。さらに最近では、90年代半ばに、海兵隊機が、鳥島劣化ウラン弾を発射。188キロは回収されなかった。米軍は誤射と主張した。

 

軍の怠慢原因も

 米軍の怠慢が、いくつかの大事故の根幹にある。例えば2013年、キャンプ・フォスターから1万9千リットルの汚水が流出した事故は、同基地に住む海兵隊員が台所に流した調理油で配管を詰まらせたのが原因だった。15年には、酔った海兵隊員が嘉手納基地の格納庫に侵入し、スプリンクラーを作動させ、搭載されていた1510リットルの泡消火剤をまき散らかした。

 

 日米地位協定では、米軍に汚染の浄化義務を負わせていないばかりか、日本政府や自治体に、汚染をチェックするための立ち入ることを認めていない。沖縄の基地返還後、民間が使用できるようにするための汚染除去と原状回復に現在まで少なくとも129億円の納税者の費用が投じられた。

 

 横須賀海軍基地(神奈川県)や横田基地(東京)といった本土の基地も汚染の原因となる。しかし、沖縄は、大量破壊兵器の存在や朝鮮戦争ベトナム戦争時の集中的な使用、そして今日、PFOSによる汚染が証明しているように、基地の集中が、汚染の集中化を招いている。

 

(写図説明)沖縄で発生した米軍関係の主な環境事故

 

 

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